マツダミヒロです

真夏のオーストラリアから
一転して、吹雪の山形へと帰ってきました。

 【ぼくにとって、とっても悲しいストーリーを書きます】

理由は
毎年恒例の
実家のおすしやさんのお手伝いです。

鮨屋が忙しい
お盆とお正月は、必ずお手伝いしています。

ちなみに、うちのすしやの場合は
1年で最も忙しいのが大晦日。
2番めに忙しいのがお盆(8月13日)

そして、
ぼくの誕生日が大晦日
父の誕生日が8月13日 笑

忙しい、親子です。

モノゴコロついたときから
小学生になるまえから
ずっとずっと
鮨屋の手伝いをしてきました。

創業46年の内、ぼくが手伝ったのは
40年ほどでしょうか。

最初は
お遊びのような手伝いでしたが
ぼくが成長するにつれて、
仕込みができるようになり、
出前ができるようになり
その幅が広がってきました。

大学生の頃は
手伝うのが
嫌で嫌で仕方がありませんでした。
だってぼくの誕生日なんだもん 笑

そりゃ、遊びたい盛りですよ。

なので、
お手伝いにも、全く身が入りませんでした。

でも
手伝わなければいけない、という【事実】は
変わりないわけです。

そこで、
何かいい方法はないかと
考えました。

あるおうちへ
出前に言った時
お寿司を玄関口で差し出すと
奥から子どもたちが走ってきて

「わぁーおすしだー」と
笑顔で喜んでいました。

その姿を見て
気づいたのです。

「ぼくは、
 お寿司を運んでいるんじゃない。
 お米の上に魚が乗っているものを運んでいるんじゃない。
 お客様の笑顔を運んでいるんだ!」

と。

それに気づいてからは
楽しくて仕方がありませんでした。

どうやって、お客様を笑顔にしようか?
と。

そう考えるだけで
話す言葉や、立ち振舞が変わってきます。
お客様との関係も変わってきますよね。

今から20数年も前のこと、
ぼくが大学の頃は
まだまだ街のお寿司屋さん、全盛期。
本当に忙しい時期でした。
回転寿司もスーパーでもあまりお寿司を売っていない時。

2時間で40件位出前をした記憶があります。

時代とともに
鮨屋も衰退し、今では
忙しいと言っても
実はそれほどではありません。

でも、
親孝行と思って
お盆とお正月に
手伝いをしています。

親子で会話もできるし
短いけどご飯も一緒に食べられる。

そんな時間は
今ではあまりないですものね。

ぼくのライフスタイルもどんどん変わり

【時間】と【場所】にとらわれないライフスタイルになりました。

みんな
勘違いしているかもしれないのですが

【時間】と【場所】にとらわれないということは
どっかに旅しなきゃいけない、と思っている人も多いようです 笑

ぼくは、このライフスタイルになって
毎月、実家に帰るようになりました。
親に会い、会話をするようになりました。

周りの同級生などにきくと、
実家に帰省できるのは、よくても年2回。

父や母の周りの人からは
羨ましいねー と、言われたりします。

どこにいても、
仕事ができるのは
どこかに遊びにいくということではなく

・大切な人とたくさん時間を過ごす
・いつでも好きな時に遠くにいる家族に会いにいける

ということでもあります。

さて、
父も70歳を超え
この46年間、ほぼ休みなく働いてきました。

というのも、
例えば
年末の営業は大晦日まで
年始は元旦から 笑

定休日は火曜日なのですが
出前が入れば営業する。

 *この姿勢からぼくも学ばせてもらいました

そんなお客さん想いのせいか
ほとんどずっとずっと働いて
疲れたようです。

ということで、
あと1ヶ月で閉店。

ぼくが一番好きな食べ物はお寿司ですが
条件があって、
「実家のお寿司」なのです。

そのお寿司がもう食べられないのは
とってもとっても悲しいです。
まだ実感は持てないのですが。

でも、
どんなものにも
終わりはきます。

『賢人たちからの魔法の質問』
という著書にも書いたのですが

何かを始めるよりも、終えることのほうが難しい
だからこそ、
「どのように終えようか?」
という問いを常に持つことが大切。

自分でビジネスをしている人は
終えるタイミングは自分で決めなければいけません。

ぼくは
今のところ、生涯現役を目指しますが
どのように終えるのか、
そして終える時にどんな気持ちかは
全く想像がつきません。

なので、
父の気持ちになることはできないのですが
ここまで続けてきて
そしてぼくを育ててきてくれたことに感謝したいと思います。

なにしろ、
だいぶお寿司を食べて育ってきているので
ぼくのほとんどは、お寿司で、できていますので。

ということで、
今度の年末年始が、
最後の親孝行。

すしやのお手伝いに精一杯励みます。

魔法の質問
「あなたはどんな親孝行をしますか?」